「人」という肩書きで生きる

好きな人を取材して、その人の生き様を紹介しています。

No.11 出会い重ねて紙からウェブへ。媒体横断ジャーナリストの現在地は?

第一印象は“クールな人”。でも、近寄りがたいわけではない。その不思議な感覚のナゾは話を聞いていくうちに解けていった。

月に100本以上の記事をアップするネットメディアの副編集長を務める新志有裕(しんしありひろ)さん(35)。大学卒業後、記者として新聞社に就職するも、配属先は内勤の編集担当。数年後には取材をする、いわゆる外勤の「記者」も経験できたが、転機が訪れた29歳のタイミングで退職を決意した。「最初から外勤の記者だったら、今でも続いていたかもしれませんね」

メディア研究の大学院に進み、多くの人に会った。結んだ縁のひとつひとつが、今を形作る礎となった。

 

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人間の不完全さに興味がある

高校の途中までは理系。「じゃあ白黒はっきりつけたいタイプですか?」などとステレオタイプなことを訊くと、意外な答えが返ってきた。

「物事に理由は求めるけど、答えはひとつでなくていいと思います。わからないものはしょうがないし、想像を超えたことは起きるので」

 大学の専攻は経営学。どうやって稼ぐのかということよりも、人間がどうしたら動くのか、組織はどうやって成り立っているのかということに興味があった。「単純に数字だけで考えられないものに興味がありますね。人間ってそんなに簡単に合理的には動かないと思うんですよ。ある意味、不完全なところが面白いです」

 中学時代から様々な社会問題に興味を持ち、大学では新聞部に入った。「新聞が好きでした。毎月購読する新聞を変えて、全紙読んでいました。記事を読むのが好きだったんです」

就職活動では、同じ学部の同級生がコンサル、金融、商社、メーカーなどを受ける中、ひとりメディア業界を志望。「自分は浮いていたかも」と振り返る。内定を得たのは九州の西日本新聞社。前途洋々、本社のある福岡へと移った。

しかし、与えられた仕事は取材をする記者ではなかった。

 

 3年間の内勤。その後記者になるも…

 約20人の記者同期のうち、内勤だったのは2人。そのうちの1人が新志さんだった。2人の部署は整理部(正式名称は編集センター)。記者の原稿を取捨選択し、写真や見出しを付けていく「内勤の編集担当」だ。午後4時に出社し、深夜2時まで働く生活を3年間以上続けた。「外にも出られず、人生の中で一番鬱々とした期間だったかも」一方で編集のスキルは身についた。整理部配属の同期とは、新聞について日々議論した。

「新聞は、もうつまらなくなってきているのではないか」

新聞が本当に読者に届く記事を作っているのかどうか、よく分からなくなってきた。何より自分自身、昔あれだけ夢中になって読んだ新聞を、仕事として読んでいるだけの状態になっていた。

2004年。ブログが流行り出し、webメディアが徐々に台頭し始めていた頃だ。会社を辞めるか悩んだが、先輩からの「一度は記者を経験してから考えろ」という言葉に従い、新志さんは残った。

そして、整理部の同期は会社を去った。

 その後、記者職への辞令を受け熊本県へ赴任。

「最初の1年は地獄でした。入社4年目だったけど実力は1年目。他社の新人記者より動けない。とりあえず火事現場へ行っても何をしていいかわからず、デスクに電話してはいつも怒られるという(笑)でも、3年目以降は楽しい思い出しかありません。つらいことも山ほどあったのに」。

しかし取材も慣れてきた4年目、再び整理部への帰還辞令が出る。20代で内勤業務を2回も経験するのは珍しいことだった。

「正直、熊本の経験で、これから新聞記者としてやっていこうと思っていました。もし、整理部への異動がなかったら今も続けていたかもしれませんね。いや、続いていたでしょうね」

歴史にifはないのだけれど、もし異動がなかったら新志さんは全く違う人生を歩んでいたかもしれない。再度、整理部で1年働いた後に、新聞社を退職した。

 

大学院時代に撒いた種が芽を出すまで

 「メディアをもっと広い視点で見たいと思い、貯金を切り崩して2年間大学院で研究しました」選んだゼミは「情報通信政策」(中村伊知哉教授)。テレビとインターネットの融合などを主な研究テーマにしていた。研究するだけでなく、イベントを開催するなど、実際に何かを作ることも多かった。2012年にはドワンゴと討論番組を共同制作した。

テーマは「震災後の日本にITはどう貢献できるか」。ニコ生(ニコニコ生放送。リアルタイムで配信される映像を視聴しながらコメントやアンケートを受け付けるメディア)で月に1回の放送を合計7回行い、1番組あたり1万以上の視聴数を記録。視聴者からの反響も大きかった。

「当初の進学目的としては、“新聞の将来について考えること”というのも大きかったんですが、様々なメディアに触れていくうちに、もっと幅が広がってきました。新聞とかそういう枠にとらわれるんじゃなくて、純粋に面白いものは何か、ということを追い求めたいと思うようになったんですね」

このプロジェクトを通じて出会ったのが、当時のドワンゴのニコニコニュース編集長の亀松太郎氏だ。

 また、ジャーナリズムの勉強会やイベントにも積極的に参加していたため、日本ジャーナリスト教育センター(JCEJ)の藤代裕之氏にも出会う。藤代氏には番組にも出てもらった。この2人が、新志さんにとって、再びジャーナリズムの道を歩み始めるうえでのキーパーソンになった。

 

 

 

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大学院生時代の2013年に、福島県いわきで行われたJCEJ主催ジャーナリストキャンプに参加。東日本大震災から2年経った街を取材した。(※写真は新志さん提供)

 

アルバイトもろくにせず、ひたすら教授のツテを頼って、色々な人に会いに行った。2年目の夏、古巣の福岡を訪ね、記者時代に一番信頼していた女性上司に近況報告すると、こんな言葉をもらった。

「新聞じゃなくて、新しいことしたら?でも戻りたくなったらいつでも言ってね」

当時、亀松さんに「ドワンゴでやれることはないのか」と尋ねてみたが、当時は空きが無くて叶わず。紆余曲折を経て、IT関連のリサーチ会社に入った。

「本当にこれで新聞社を辞めてうまくいっているのか?と思いました。自分がしてきたことが生かされているかわからなかったので」

 一方、もうひとりのキーパーソンである藤代さんに誘われ、日本ジャーナリスト教育センターの一員になった。被災地である岩手県大槌町で立ち上げた「大槌みらい新聞」での活動などを通じて、ジャーナリズムに関わり続けることができた。すると2014年3月、なぜか亀松さんから声がかかる。

「今、事業拡大で記者を増やしているんだけど、ウチに来ませんか?」二つ返事でOK。今の会社へ移った。

「大学院時代に知り合った人はたくさんいましたが、その縁はすぐに何かにつながったわけではありませんでした。でも今、そのつながりがものすごく自分にとってプラスに働いているので不思議です」

 

紙とウェブが拮抗する混沌の時代にワクワク

入社から半年でマネージャーに昇進、副編集長として忙しく過ごす。相談に来る人が多く、なかなか席を外せない時も。昼食もデスクで弁当ということが多い。「何かチームで行うとき、誰かのフォローやトラブル処理を、自分がやることが多いですね」

組織がどうしたら動くのかを考えるのが好きだと言う。「全体として上手く回っていること」が一番なので、時にはバッサリ、非情な判断も厭わない。

マネージャータイプかプレーヤータイプかどちら向きかという質問に対しては、「たぶん後ろから下支えするようなポジションの方が向いているんだと思います。でも、プレイヤーとしてやっていきたいという気持ちも強く持っていますよ。得意不得意はあったとしても、どっちかしかできないのはダメだと思っているので」

 そして、メディア業界で紙からwebへという流れが増えている現在、今後は逆の流れも出てくるのではないかと予想。ますます混沌として来て面白い時代になってくると思うとコメント。

ジャーナリズムとは何か?最後に尋ねてみた。

「社会を良くしようとして情報を発信することですかね。いろいろな定義がありますが、それくらい広く考えた方がいいと思っています。自分自身、時代に合わせて柔軟に対応していきたいです」

 

 

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35歳になったばかりの色白&もち肌の新志さん。「良く手がキレイだと褒められる」とのこと。確かに、女性が羨むほどの美しさ。「いや、でもちゃんと男の手だから」と男性アピールも欠かさない。

 

【プロフィール】

座右の銘諸行無常

生年月日:1980年11月24日 いて座O型

経歴:大分上野丘高等学校→一橋大学商学部西日本新聞社慶應義塾大学院メディアデザイン科(3期生)→MM総研→ネットメディア会社

趣味:旅行。主に国内。「関西にも住んでみたい」

特技:地図をあまり見ずに場所にたどり着くこと

家族:父、母、弟(31)

好きな食べ物:みそラーメン「福岡でみそラーメンの店を探していました」

嫌いな食べ物:強いて言うなら生臭い魚。でも鮒ずしは大丈夫。

お気入りスポット:滋賀のピエリ守山「生ける廃墟として有名になった時に訪問。復活したらしいので、その姿を見に行きたいです」

好きなタイプ:とらえどころのない人

嫌いなタイプ:固定観念の強い人

尊敬する人:宮本茂(ゲームプロデューサー)

      「一見シンプルだけど、それらを組み合わせて奥深いものを作る、絶妙なバランス感覚がすごいと思います」

好きな言葉:“安西先生、バスケがしたいです”

      「スラムダンクでは三井寿が一番好きです(笑)」

URL:2013年ジャーナリストキャンプ作品

仮設住宅が「見える化」する暇すぎる独居オヤジの悲哀』(執筆:新志さん)

http://diamond.jp/articles/-/36691

 

筆者とのつながり:2015年ジャーナリストキャンプ

 

ソーシャルメディア論: つながりを再設計する

ソーシャルメディア論: つながりを再設計する

 

 新志さんが第9章「権利」を担当した『ソーシャルメディア論』(藤代裕之 編著)が青弓社から発売されている。

 

(デスク:浜崎 空 執筆:小野 ヒデコ)

 

<小野ヒデコプロフィール>

おの・ひでこ 1984年生まれ。自動車メーカー、アパレル会社勤務を経て2015年にライターに転身。