「人」という肩書きで生きる

好きな人を取材して、その人の生き様を紹介しています。

No.10 もっと柔らかい人生を-父親とのわだかまりを超えた先に見えたこと-

大学卒業後10年で転職5回、挑戦と挫折の繰り返しだった。「『~すべき』的な硬直した考え方に囚われてきた」という小山祐介さん(32)。だが今、表情は柔らかい。今年6月、環境系のNPOで新たなスタートを切り、「ようやく良い方向に進んでいるかな」と思えるようになったと話す。それは「~すべき」を離れ、より柔軟な「~もあり」へと考え方をシフトできたから。背景には父親との関係を見直したこと、そして自分自身を認めたことがあった。

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七転八倒の20

大学時代は夢や目標がなかったため、就職活動は苦痛だった。「とにかく楽なところを...」

そう思って、漠然と応募をするも全滅。唯一内定をもらったのはIT企業だった。特に強く希望したわけではないが、6歳年上の兄がSEとして生き生きと働いていたのを見て、自分もなってみようと思ったのがきっかけだ。「とりあえず内定が出てホッとしました」

2006年、技術力ゼロでSEになった。入社後、4~5月は研修で勉強三昧の日々が続く。プログラミング(C言語)を学習していく中で、知識豊富な同期に、力の差をまざまざと見せつけられた。それでも負けじと睡眠時間を削り、深夜まで勉強やプレゼンの準備を行う。

しかし、劣等感は日に日に増すばかりだった。奮闘し続ける毎日に、小山さんの心身は徐々に限界に近づいていく。そして2008年、退職をすることにした。

その後、大学事務職員や本屋など数か月単位で転職を繰り返し、数社に身を置くも、「ここだ」という場所は見つからなかった。焦燥感の中にいた。20代が終わろうとしていた。

 

父親との壁。それを乗り越えた時

小山さんの父親は、昔から何か気に入らないことがあるとすぐキレるタイプだった。小学校6年生の時、家族で帰省先の田舎から戻る最中に、些細なことがきっかけで父親と衝突する。

小山さんの口のきき方が父親の逆鱗に触れてしまったのだ。

家に着いてから「座れ!」と命令され、「お前が俺に何をしたのか言ってみろ!」と言われた。1時間ほどだろうか、正座させられ怒鳴られ続けた。それで済むかと思いきや、翌日から1週間無視され続けることに。ちょうど1週間後の朝、父親の部屋に呼ばれ、恐る恐る入ると-

「お前は優しくて人を暖かく受け入れるのが良いところなのになぜそれができない?これからはもっと自分の良いところを活かしていきなさい」

決定的な一言だった。それ以来、小山さんは人の顔色を伺いながら聞き分けの良い子を演じ始めることになる。

 それからも大波小波とあれども、父親とはぶつかった。最大の波が訪れたのは27歳の時。家のFAX取り付けを後回ししていたことに、父親が激怒した。「みっともねぇ!くだらねぇ!情けねぇ」の口癖を連呼された。その日は黙って耐えた。しかし、小山さんの抑圧され続けた怒りの蓋が翌日に吹っ飛ぶ。

 

父親と胸ぐらの掴み合いをし、今まで思っていたことをぶちまけた。

 

心の内にあったこと-それは最初のIT企業で体調を崩した時、家族が理解してくれなかった悲しさ、辛さだった。父親に言われた「困っときは相談しなさい」という言葉を信じていた矢先、会社を連続3日欠勤したら「甘やかすとすぐこれだ!みっともねぇ!くだらねぇ!情けねぇ!」と怒鳴り飛ばされた。「休んでもいいんじゃないの?」という一言を期待していたため、その言葉は胸に深く刺さった。

 「今まで育ててもらったことは感謝してるよ!ただどこで何をしようと俺の勝手だろう!!」

はじめて父親に声を上げた。

 「なんだその言葉は!親に向かって言う言葉か!」と言い返され、その後も論理で捲し立てられで結局言い負かされてしまったのだが、小山さんにとっては大きな一歩となったのは間違いなかった。

 30歳を目前にした時期、営業事務の仕事に就く。その時「自分は損得勘定で動けない人間かもしれない」という感情が芽生える。その話を高校の部活の友人に話したら、ふと「お父さんに相談してみたら?」と言われる。今まで仕事のことで父親に相談したことなどなかった小山さんの中に、説明のつかない衝動が走った。夜中23時だったにも関わらず、横になっていた父親に話をもちかけたところ、わざわざ起きてきてくれた。

「企業人として、組織人として、物事を善悪で判断したら苦しむよ」

2人で夜な夜な語り合った。

「この時話をして、初めて父親との関係がフラットになったなって思えました。今まで父親に縛られていたんだということがわかったんです」

 

やわらかい人生を生きる

今年の5月30日に、「かみあうじかん」というイベントに参加をした。そこで書道をした時

イベントの共同主催者である書道家に言われた言葉が心に沁みた。

 

「書いた作品の感想を聞いたとき、『すいません、よくわかりませんでした』と言われた方が素直だなと思うし、よっぽど嬉しい。君は感じたことや思ったことを素直に表現してくれた。君は素晴らしい。すごい力を持っている」。価値観を認めてもらえたと感じた。

「全ての物事はその人に起こることは起こるべくして起こっている」、そして「相手と過去は変えられないけど、自分と未来は変えられる」ということを知った。

 

「様々な価値観を受け入れられるようになったかな。例えば働く上で、収入は低くても自分のやりたいことができればいいし、結婚もできなかったらそれはそれで仕方ないと思えるようになった。自分は“損得勘定で動けない人間”ということを認め、それにあった働き方を考えた時、利益よりミッションを大切にするNPOが合っているのではないかと考えるようになりました」

小山さんの夢の1つは任意団体を立ち上げて、NPOにステップアップ、最終的には法人化すること。

「生きていていい。存在していていい。みんな違ってみんないい。みんなが認められる場所がある環境を作っていきたいと思っています」

それまでは、色々なNPOを掛け持ちしてでも生計を立てていくつもりだ。

人生は何度でも挑戦できる。

32歳になったばかりの今。これからまた新たなスタートラインに立つ。

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【プロフィール】

座右の銘山崎ナオコーラ『長い終わりが始まる』   

     「いろいろな“きっかけ”を作ってくれた一冊」

生年月日:1983年9月9日 おとめ座 O型

経歴:さいたま市立浦和南高等学校専修大学経済学部経済学科→IT企業

→大学事務職員→コミック専門店→営業事務→NPO法人

趣味:ジム、ファスティング、書くこと、イベント参加

家族:父、母、兄(6歳上)

特技:弓道(2段)、マンドリンアコースティックギター

好きなスポット:おなかま(門前仲町)、ハグハウス(清瀬

        「おなかなは第二の家で、ハグハウスは第三の家」

好きな食べ物:回鍋肉(ホイコーロー

嫌いな食べ物:紅ショウガ。

好きなタイプ:おおざっぱな人

嫌いなタイプ:社交辞令を言う人、神経質な人。

       「11年付き合った彼女が神経質でした...」

尊敬する人:山崎ナオコーラ、“おなかま”の田頭 和み(たがしらなごみ)さん

筆者とのつながり:しごとバー「仕事がないナイト」

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小説家・山崎ナオコーラ氏に手紙を書いたところ、返信があった。

小山さんはそれから「自分も小説を書いてみたい」と思うようになり、自作を公募したところ4作が佳作として入賞している。

「小説家になりたいという夢はこれからも持ち続けたいと思います」

 

(デスク:浜崎 空 執筆:小野 ヒデコ)

 

<小野ヒデコプロフィール>

おの・ひでこ 1984年生まれ。自動車メーカー、アパレル会社勤務を経て2015年にライターに転身。