「人」という肩書きで生きる

好きな人を取材して、その人の生き様を紹介しています。

No.13 30歳目前の決断 夫婦ふたり、次なる挑戦の場に選んだのは母国ドイツ

初めて日本に来てから8年が経った。母国・ドイツから飛び立ち、日本で就職、日本人男性と結婚した品川ウルスラさん(30)。チャレンジ精神があり、新しい環境に飛び込むことをいとわない。しかし、就職した日本の企業で挫折を味わった。夫も仕事が忙しく、夫婦で満足に過ごす時間はわずか。その現状を打開すべく、夫婦が選んだ道はドイツで新しく挑戦することだった。

 

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(東京・上野公園にて。大学時代、日本へ滞在していた時によく足を運んでいたのが上野駅近くのスターバックスだった)

 

ホームステイ先で日本人男性と知り合う

 ウルスラさんの故郷はドイツ南部・バイエルン州のランツベルク。大都市ミュンヘンの西50キロ、歴史ある街並みが残る。4年に一度、子どもたちが中世時代のコスチュームでキャンプなどを楽しむお祭り「ルーテンフェスト」が有名だ。

 18歳になったら海外に行こうと決め、13歳からアルバイトを続けて渡航費用を貯めた。とりわけ興味をもったのはアジア。モダンと伝統が混ざり合いながら、スピーディーに成長している場所と映った。そして目標通り、18歳の時に友人とタイなどに旅行。ある思いが芽生えた。

 「新しい経験が好き。つまらない生活は嫌い。自分で考えて動ける、大きい会社で働きたい」

20歳になったばかりの2007年、英語の語学留学でシンガポールに行った。同じホームステイ先だった年上の日本人男性と知り合い、帰国後もメールのやりとりを続けた。

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(休日に登山へ出かけることがある。高尾山から富士山まで挑戦した。頂上から眺める景色が好き。「ドイツではAllgaeu地方の山々が好き」)

 

日本で初めての就職先はユニクロ

 2008年、ドイツの大学に入学するも、雰囲気が合わずに2カ月で退学。翌年、日本にホームステイで訪れた。前の年にシンガポールで知り合った男性の存在もあり、彼が住む国に親近感を持っていたからだ。ホストファミリー先はたまたま福岡になった。彼も福岡県内で働いていたため、日本へ向かう空港で彼にメールした。偶然が引き寄せた再会。2人が付き合い始めるまで、そんなに時間はかからなかった。

 いったん帰国後、2009年にオーストリア・ウィーンの大学へ入学。朝4時に起きて勉強漬けの生活を続け、2011年に再来日。慶応大学へ留学した。彼との交際が続いていたことをもあり、日本での就職を考えるようになる。興味をもったのがユニクロ。商品も気に入っていたし、社内公用語が英語であることなどにも惹かれた。最終面接は社長と。たった5分間だったが、緊張したのは言うまでもない。

「『なぜあなたが?』と聞かれた。思いを伝えたところ、その場でOKが出た」

2012年に入社。東京都内の大型店舗での勤務が始まった。

 

 

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(「ドイツではもっと大きい女性がいるけど、日本では誰よりも大きい」。身体172cm)

 

自然な成り行きで結婚

ドイツにいる家族に彼を紹介した時、母親は温かく迎えてくれた。「私は早くに父を亡くしていて、母親と妹と3人暮らしでした。母はおもてなしをするのが大好きで、彼との結婚にも好意的でした」

付き合っていた彼とは同棲生活を経て、翌年に入籍。お互い「結婚」という言葉を口にしなくとも、一緒になる存在ということがわかっていたため、ごく自然な成り行きだったという。

彼に出会う前は国際結婚するとは夢にも思わなかったとはにかむ。結婚式は軽井沢の教会で行い、ドイツからは家族を含む、16人が来日して参列した。

 「結婚に迷いはなかった。夫は真面目で優しい。コミュニケーションは以前英語だったけど、今は日本語を使っています。ケンカはほとんどしないし、お互い我慢もしていないです」

プライベートは順調だったが、仕事面では厳しい現実にぶち当たった。

  

頑張っても報われない日々

 現場を大切にする方針のユニクロでは、国籍を問わず基本的に全社員に店舗経験および店長経験を求める。一番難しかったことは、外国人として店長になることが本当に必要なのかという疑問が解けなかったことだと振り返る。

「自分の意見を主張しても、言い訳に捉えられてしまった。頑張ってもダメだった。自分の頑張りが足りないと思った」

店長を目指して日々の業務に取り組むも、「店舗に貢献できない」と思える日々が続いた。もっと頑張れるのではないかという自問自答を繰り返すも、体が限界を迎え始めた。夫にも相談をして、悩みに悩んだ末、2015年4月末でユニクロを退職した。

 

 夫と過ごす時間は日曜の夜のみ

  もともとは働くことが好きな性分。1カ月だけ休養して、外資系大手自動車メーカーのマーケティング部門に就職した。ビジネスで使用する日本語の難しさに苦労をすることもあったが、同僚が助けてくれたので、おおむね楽しくやれていた。 

一方でウルスラさんには、以前から心に決めていたことがある。30歳までには一度ドイツに帰ろうという思いだ。その30歳が目前に迫るにつれ、地元の友人や家族の近くにいたいと思う気持ちが、日増しに強まってきた。

加えて、夫婦の状況もあった。夫の職業は教師。部活動の顧問として土日も出勤する多忙さゆえ、二人で過ごす時間が日曜の夜しか取れない。ずっとこのままなのかと不安が膨らんでいた。打開策として、“住む国を変える”というのもひとつなのでは、と思ったのだ。

一緒にドイツに戻りたい。夫に相談すると、二つ返事でOK。自分の仕事をやめて渡独することに同意してくれた。

「実はこれまでに何度も、二人でドイツに行くことについて話し合っていました。話せば話すほど、ドイツで暮らすことに夫は興味を持ち始めていたのですが、『やっぱり日本を離れたくない』って言われたらどうしようと思うこともありました。でも、ラッキーなことに、実際にはそういうことは起きませんでした」

 

初めてのひとり暮らし

 夫の退職のタイミングは、学期末の3月末の予定だったため、先に渡独することになった。幸い、同自動車メーカーのドイツ本社に採用され、昨年10月からは物流部門で働いている。実家から通うのが難しいため、夫が来るまではひとり暮らしだ。ウルスラさんはドイツ人だが、母国での社会人経験は皆無。年金や保険などの制度も正直よく知らない。ひとり暮らしも初めてだ。それでも、まずは何事もやってみることが大切だと思っている。

「でも、寂しいだろうから、帰国したその週にインコを飼う」という一面も。

 

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(国際結婚をするとは夢にも思わなかったと振り返る)

 

後追いで渡独する夫は、ドイツ語は話せないため、仕事の合間をぬいドイツ語検定に向けて猛勉強し、合格した。ドイツでの夫の就職先は未定。だが、先を案じても仕方ないとウルスラさんは言う。日系企業も多いため、動き続ければ道は拓けると考えているからだ。

「私だって全く日本語が話せない状態で日本に来たけど、二つの素晴らしい会社と出会うことができたんだから夫も絶対大丈夫」

元々スポーツが好きなため、ドイツでは二人でハイキングや自転車ツーリングなどをするのが楽しみだという。本来、住む場所にはこだわりがない。「数年後、ドイツでもなく、日本でもない場所にいるかもしれない」と語る表情に、不安の色は一切なかった。

 

 

【プロフィール】 

座右の銘:Zeh Juli(ツェー・ユリ)

     「Spieltrieb」(play instincs 本能のままに楽しむ )

生年月日:1987年11月22日

     さそり座(ドイツでは22日までがさそり座) AB型

経歴:Ignaz-Koegler-Gymnasium→Otto von Guericke Universitaet Magdeburg中退  →Vienna University of Business and Economics→ユニクロ→大手外資自動車メーカー

趣味: 旅行。「京都が1番。温泉は湯布院」

特技:英語、日本語、フランス語。

  「中国語は3か月でリタイア。ラテン語は4年学んだけど、

   日常で使えないところが残念」

家族:母、妹(3個下)、日本人の夫(38歳)

好きな食べ物:パン(ドイツパン)全粒パン。プレッツェル「南ドイツのが一番!」

嫌いな食べ物:ホルモンは苦手

好きなタイプ:正直(honest)、

       信頼できるreliable(約束を守る、時間通りに来る)

嫌いなタイプ:自慢する人。自信はいいけど。

尊敬する人:お世話になった会社の上司

筆者との接点:ユニクロ同期

 

デスク   浜崎 空

執筆・写真 小野 ヒデコ

 

<小野ヒデコプロフィール>

1984年、東京生まれ横浜育ち。同志社大学文学部英文学科卒業後、自動車メーカー、アパレル会社勤務を経て2015年にライターに転身。